【インド】ボパールの悲劇、40年後も続く闘い
1984年12月、インド・ボパール市で発生した化学ガス漏れ事故は、世界最悪の工業災害と呼ばれています。
当時、メチルイソシアネート(MIC)という有毒ガスが工場から流出し、3,500人以上が即死しました。
さらに、その後25,000人が命を落とし、50万人以上が重い健康被害を受けました。
事故直後、政府と企業は補償に合意しましたが、被害者一人当たりわずか300ユーロ。
責任者は裁かれることなく、被害者の多くはいまだに苦しんでいます。
汚染された土壌や地下水が、新たな世代にも病気や奇形をもたらしているのです。
この悲劇により、企業の責任追及や安全対策の必要性が改めて問われています。
しかし、被害者たちは、「この苦しみは終わらない」
「インドでは、適切な人にお金を払えばすべての許可が下りるというのが現実です」と語ります。
現在でもミニ・ボパールと呼ばれる工業地帯が点在し、下層カーストの住民を汚染していると言います。
それでも、彼らは正義を求めて戦い続けています。